MUCHU人

「私の物の感じ方」

抜く作業

変な言い方かも知れませんが、色々あって、私が生きて行く上で、抜く作業というのがいかに大切か、親に完全に理解してもらえました。
それで、しばらくは一人で部屋で抜く作業をしています。
ですので、あまりこちらには顔を出せませんでした。
抜くとは、精神統一作業みたいなもんです。
老廃物を排出するのに似ています。
イメージで出すんです。
感受性が強過ぎる傾向があって、色んなものを受信し過ぎてしまうんですね。
映像化されてその人の人生とか本質とかが見えるような時が結構あって、移行支援は色んな人がいますから、チャンネルが合ってしまうと受信して疲れてしまうわけです。
特にそれが黒の場合、かなりグッタリします。
憎しみとか、妬みとか、狡猾さとか、悲しみとか、恐怖とか、見ていると疲れますよね。
クタクタにならないように、帰宅したらすぐにいつも豆電球しか付けない自然色で統一された自室にに入って、色んな刺激を遮断して、いったん自分に立ち戻らないと生活していけないんですね。
昔はそれが反抗だとか、サボりだとか、親に大変な折檻を受けましたが、ようやく障害理解を得られて、少しは気分的に楽で生活出来ています。
移行支援に通い始めてから、小さな子どもや動物(感受性が強いから)が妙に懐いたり、遮光眼鏡を掛けていても急に知らない子ども何人にも手を振られたり、(毎日あります)不思議な事に親も一緒に出くわすようになってから、ようやく合点がいったらしいです。
ちなみに子どもは好きです。
コミュニケーション取るのに自分が困ってしまうから話はできないけど、チャンネルが合っても疲れないからです。
チャンネルが合っても、私自身中身が空でという訳ではないので、受けたものを出せば大丈夫なんですが、なかなか自分のそういう変な特徴を使いこなすのが難しいです。
友達が来ると、10分もしない内に寝てしまう、「恐ろしく眠くなるらしい」部屋でゆっくりと抜く作業をして、疲れをとりつつ、自分の日々の課題を頑張って前に進んでいこうと思います。
上手く伝えられなくて、だいぶスピリチュアルな表現になってしまいましたが、なんとか上手くやっています。

それでは私でした。