MUCHU人

「私の物の感じ方」

私にとって何が嫌だったか

攻撃されたと感じた出来事の後日談です。

スタッフと面談しました。
スタッフは理解してくれて、1人にならないように、喫煙所など1人になる可能性が高い場所には、男性スタッフが付いてきてくれる事になりました。

私が嫌だったのは、私を全肯定する事で、「あなたは私、私はあなた」であるかのようにお互いを認識し、私に依存しようとする言動です。
そうやって、自我が育っている最中の私を、コントロール出来ると思ったのでしょう。
要するに発達障害だからと馬鹿にしていたと感じました。
そういうことをするには、仕組みがあるのです。
自我が死んでしまった方は、生きていく上でとても不安を抱えています。
だから、「あなたは私、私はあなた」であるという認識をする事で、生きる不安を解消しようとしたのだと思われます。
だけど、それは相手のした事や、良くない考えすらも、私が考えたりしたのだと、事実をすり替えてしまう事が容易に出来ます。
私は相手の方にとって完全に他人です。
一部に共感できたとしても、そんな事は世の中五万とあります。
自分自身から逃げる人は、他人に依存します。
そして、ある日、違いが明るみになった時に、相手と自分との少しのズレすら許せなくなり、攻撃したり自虐的な行動を取ったりします。
自己破滅的な生き方をしたいのならば、関わるのは無駄です。
冷めた言い方かも知れませんが、自分自身から逃げ続ける他人を相手にしている暇など私にはないのです。
移行支援のメンバーもそうだし、必死に自分と向き合っている人間に対して失礼です。
それをスタッフにも、主治医にも、きちんと理解していただけて、今は来週の実習に向けてのんびり過ごしています。

それでは私でした。