MUCHU人

「私の物の感じ方」

親戚に新年の挨拶

父方の伯父伯母に新年の挨拶に行きました。
ついでに甥二人へのお年玉を託して来ました。
収入がないので、2000円づつですが、気持ちだけでも渡せてホッとしました。
母にずっと親戚に今やってる事を言うなと言われてきたけれど、普通にPCの勉強をしに行っていて働いていないと言いました。
なんかスッキリしました。
伯母も目標があるなら安心だと言っていました。
隠しても無理があるし、去年の盆の伯母伯父の言葉の端々で、働いていない事や障害に気付いているんだろうなと思われる事が多々あったので、言ってしまった方がお互いに良いと思いました。
良い機会でしたね。
私や父が平然と正直に話してしまうのは、母にとっては良い事だと思っています。
結果論にはなりますが、母が世間体を気にする程、相手の反応は悪くない事の方が断然多いからです。
母が幼い頃から抱えている「味方にはなり得ない身内」はもう世代が変わり終わりました。
私の時代は、意思表示をしない方が、相手の不安や心配は募るばかりだし、発達障害のイメージから心配される事は、相手の好意として素直に受け取ればいいのだと思っています。
なぜなら、私なら、こんな面倒臭い自分に対して、どうでも良ければ関わらない方が安全なので、面倒を抜きに関わろうとしてくれる事は好意だと考えるからです。
伯母は私に、日商に合格したらお祝いしようと言ってくれました。

こういう身内との経験を重ねていくと感じるのは、人の心配する気持ちとは何かという事です。
私の環境から順位を付けると、やはり一番は、自分の目標に向かって前向きに生活していないことかと思います。
目標が何なのかは、目標の大きさでもないし、達成年齢でもないと思います。

とにかく人が心配するか安心するかは、今いる等身大の自分にとって必要で、今出来る事を楽しみながらやれているかどうかなんだと感じました。

今やってる事が今出来る事と一致しない時、それは自分が等身大の自分を分かっていないという事になります。

それは、階段1段目にいる自分が、いきなり階段100段目に足を掛けるのは不可能だと言われるというのと同じ意味です。

等身大の自分を疎かにしている時、周囲は心配したり注意したり、叱ったりするのだと感じました。

私は30歳で出来ない事も多いし、定職もないし、果たして就職出来るかはまだ分かりませんが、とりあえず移行支援に通って学んでみようと、今自分に出来る事をしています。

そして今日も笑顔でした。 

働いていなくても、そんな時周囲は安心しますし、自分の力で環境も変えられると知りました。

今の自分を知るって本当に大切ですね。

全くの談笑で、皆がパチンコの話をしていた時に、音に対する過敏も言いました。

私はパチンコ屋が苦手です。

うるさいので、一発で具合が悪くなります。

うるさいというか、痛みが発生します。

伯母は「うるさいのがダメなんてあなたのお母さんとおなじだね」と言いました。

親戚が会話に挟まると、父といい、母といい、なおさら自分に遺伝的な何かを感じずにはいられなくて、面白いです。

前は遺伝的な何かを感じるのは本当に嫌でしたが、最近は面白いと感じられるようになっていた事に、自分が一番変わったなと驚いています。

そんな感じで、幸先の良いスタートとなりました。

伯父伯母共元気で何よりで、私も元気を取り戻しているし、行って良かったです。

今日で三ヶ日も終わりで、明後日からまた移行支援が始まりますが、頑張れそうです。

それでは私でした。