MUCHU人

「私の物の感じ方」

全ては家庭から訓練

思えば、前回の記事で書いた事は私が母からされていたことそのものでした。

生来性の特徴かと思いますが、私は行動が読めない、何をするか分からない、と幼い頃から母に言われ続けていました。
ちょっとした事でも、「なんでなの?!」「え、どうしてそんな事をしたの?!」と怪訝そうな声で言われ続けて来ました。
母の言葉から「変わっている子」は日常茶飯事でした。
それが褒め言葉として放たれたわけではない事は幼い私でも分かりましたし、しまいには「あんたは難しい」「あんたは良く分からない」、そう言われて傷付いて来た私がいました。
傷付くと私は親と距離を置くようになりました。
距離を置けば置くほど、母は私に追及しました。
なぜ?なぜ?と。
実感として理解しているわけではないのですが、これまで学んできた何かの資料で、母親は子どもの事を常に分かっていたいという心理があるそうです。
私の事をどうしても理解出来なかった母は、理解をしようと私にボールを投げかけ続けていたんだと思います。
それでも、自閉症スペクトラムであった私は、投げ返す事が出来なかったんだと思います。
投げ返していたつもりでしたが、今の自分自身を考えただけでも、投げ返せていなかった事は確実です。
母は私にそんな特徴があるとはつい最近まで知る由もありませんでした。
私も知りませんでした。
だから、母は私がわざと母を困らせているのだとずっと思っていたのだと思いました。
今も母はまだ受け入れる事が難しいようで、私も敢えて障害の話をするには時間を置こうと考えています。
この年になり、色々学び、ようやく受容の難しさを知りましたが、ついぞこの間までは、前回の記事のように感じ、私自身から溝を深めていきました。
正にすれ違いです。
家庭の問題は本当にコミュニケーションのズレの典型例です。
では母のあの辛辣な発言の数々や、精神的に明らかにおかしくなったのは、カサンドラ症候群なのかと思えてきます。

親子関係の謎が分かれば、私は色々な事が解決すると医者に言われてきました。

親子関係が良い躓きの事例になるから、自分のような障害の人間がいかに適切な言葉で表現する事が大切か、移行支援に通ってからたった5カ月の間ですが、耳にタコが出来るぐらい聞かされて来ました。

親が生きているうちに、社会に出る前に、しっかりと学ぶならば今なんだと実感しました。

改めて短所を突きつけられているようで、あまりそうは思えなかったりもしましたが、診断を受けて良かったです。

まだまだ先は長いけれど、自立は先の見えない話でもなさそうな気がしました。

これからまだ行く場所は沢山ある。
移行支援も2年ある。
支援センターの訓練もある。
職業センターも改めて行くことになっている。

一人じゃないのだから、一歩一歩確実にやっていこうと思っています。

それでは私でした。