MUCHU人

「私の物の感じ方」

書きたい事をただ書く

今日はうまくない文章でも色々と書いてみたい事を書きます。
悪しからず。

私が人に質問する時、常識や模範解答を知りたいんではないんだなぁと思います。
私が知りたいのはその人なりの理由です。

けれど理由を質問して、納得がいかないという現象があります。
社会の中でもあります。
学校でも、どこでもありました。
誰に対しても同じですが、以前からの、納得できない一番の理由は、理由がないのにネガティヴな展開になった時です。
何が理由がないことになるのかというと、その人なりの体験や実感に基づいた話として物事を語られない時なんだと思いました。

仕組みはこんな感じです。
私がAさんに質問するとします。
「Aさんはどうしてタバコはやめるべきだと思うの?」
Aさんは答えに詰まります。
すると、私はそれがAさんなりの考えではないなと思います。
なぜなら「タバコはやめるべき」理由がないからです。
Aさんがそれが良いことだと主張するには、Aさんが良いと思う理由があります。
それが出てこないというのは、Aさんは単純に「タバコを吸う人を槍玉に挙げて攻撃しているだけ」だと感じます。
「タバコはやめるべき」が間違えているとは思いません。
タバコは確かに健康に悪いし、禁煙して生きるって、なんてエコで健康的でお金もかからなくて、なんて素晴らしい言葉なんだろうと一見思います。
だけど、本当にその人はそんな生活をしたことがあるのかな?と思わせる事があります。
その人なりの理由がないと、なんだか現実味も真実味もない言葉に聞こえます。
なんだか胡散臭いと感じます。
それはAさんとの会話を箱に例えると、開けたら中身が空だった、開けて損したという気分と似ています。
開けるというのは、なぜと質問をした行為の例えです。
それが自分に対して否定形の会話の場合、トゲで出来た箱を、指が痛いリスクを冒して開けたのに、中身が空だとなおさら騙されたと感じます。
自分の意見を否定されるのは、痛みを伴います。
信じてきたことが覆るかも知れない可能性があるわけですから、リスクがあるのは当然です。
それがトゲの箱という例えです。
納得できないのはおおよそこういう仕組みです。

話を戻すと、私は「タバコはやめるべき」だという「答え」の「理由」はなんでもいいと思っています。
それはその人によって違っていいと思います。
「燃えてなくなるものにお金をかけて病気をしたから」でもいいし、「親しい人が肺ガンで亡くなったから」でもいいし、「臭くて嫌いだから吸う人の気が知れない」でもいいと思います。
逆に肯定派もアリだと思います。
「ストレス溜める方がよっぽど医療費が掛かるから」でもいいし、「根っからの辛党で味が好きだから」でもいいし、極端な話「よく分かんないけど、落ち着くから」でもいいと思います。
その人の経験に基づいていればふーん、そうなんだーと、自分の意見と違っていても、納得できます。
自分は違うな、と思っても違うという事実と、その人が中身を理解して私に話しているというので充分です。
箱の中身に違うという事実が詰まっていたわけですから。
その先、意見を押し付け合うのか、双方を尊重するのかは、また別な判断になってきます。

ではAさんって具体的に誰なの事かというと、以前の私の事です。
そして母の事でもあります。

私がどうして以前Aさんのようだったのか、概要を書いてみます。
私は人見知りがなかったにも関わらず、定型発達児として育ちました。
両親の話や親類の話によると、私は新生児の頃から刺激を求めて、親も手に負えないほど、良く動いていた子どもだったといいます。
自立歩行も早くて、不器用で頻繁に転びながらも、どんどん遠くに行ってしまう子どもでした。
(今考えると多動傾向があったんですね。)
言葉を発するのも覚えるのも早かったといいます。
よく喋り、ハキハキと話す子どもだったと言います。
それがあったからか、健診でも問題なしと判断されたので、これから話す内容は、私が悪気があってやっているのだとされてきました。
今もそうですが、危険認知に同級生と比べてかなりの遅れがありました。
周りに何があるか、今どうなってるのか、素早く認識できなくて、自分ではそんなつもりはなくても、人と違う事ばかりしていたようで、それを先生が逐一書くので、通信簿を持ち帰るのが恐怖でした。
なぜかと言うと、母が怒鳴ったり殴るからでした。
悪いことはしていないのに、理由を言わせず、怒鳴り散らして殴られました。
それはおかしい事だと思いました。
理不尽だと思いました。
家の中自体でも、問題がありました。
食べ物に対するこだわりが強くて、「肉は嫌い!」というといきなり怒鳴られました。
無理矢理食べさせられても、臭くて歯応えも気持ち悪く、飲み込めないでいると、頭を思い切り殴られました。
ビックリしたのと理不尽な気持ちとで泣けば、余計に怒鳴られました。
いつの時も母の口から「どうして嫌いなの?」という言葉はなかったです。
「肉が美味しくない」と泣きながら私が訴えれば、理由の説明もなしに、なぜかまたいきなり殴られました。
次第に、自分が成長するに連れて、もっと複雑な理由を知りたくなる時期が増えてくると、段々と「怒って黙らせる方式」で誤魔化していたのが通用しなくなり、更なる苛立ちが私に対して向けられるようになりました。
人に質問することも多くなり、「なぜ?」を質問すると、「そんな事を考えるなんて、親を馬鹿にしている!」と、質問をしたこと自体が悪い事のように、母は余計に殴りました。
母の中に実感に基づいた答えが存在しなかったからだと思います。
私は「お母さんは馬鹿だね」とは少しも思っていないのに、母が勝手に想像したと感じています。
「言い訳するな!」と殴られたこともあります。
言い訳ではないから私も引きません。
じゃあどうするのがいいのかと母の意見を聞いても、「お前が悪い、人のせいにするな、そんなお前はもっと悪い」と先の話はないです。
今も母は答えに詰まり、物事を母自身の体験から語られることはないです。
いつしか母を信用しなくなりました。
今も相手にしないし、相談もしません。
相談はスタッフにします。
いつでも相談できるように、あらゆる連絡方法を利用しています。
私は長年母に殴られて殴られて、寝ていても急に怒鳴れたり抓られたり引きずられたりしました。
私はその内なぜ母が怒っているのが分からなくなり、その内に母自身もなぜ怒鳴り散らしながら殴っているのか分からなくなり、「この事を父に言うのは家族を破滅させたいんだと受け取るからね!」とただ脅されてきた時期が続きました。
エスカレートしていくに連れて、思ったことを口に出すと、人は肩書きを利用して暴力を振るったり脅迫すると学んでいきました。
そして二次障害が悪化して、6年寝たきり、計7年間引きこもっていました。
そして外に出られるようになっても、恐怖で何も言えなくなって行きましたし、考えている事と違う行動を取ることで身を守ってきました。
でも自己矛盾があって、苦しかったです。
同僚に頭ごなしに声を荒げるA型スタッフを見て、同僚と同じように思っているなんてとても言えないと、恐怖でなおさら自分の悪いルールは証明されていくばかりでした。
それが私の姿でした。
だからA型を辞めました。
苦しいのは、もう自分が一番嫌だったからです。

でも、春に恋人とは別れた事をきっかけに、急に呪いが解けたように、自分の思いを言えるようになっていきました。
具体的に移行支援に通って学んでいきたいと言いだしたのも自分でした。
言えるようになったもっと詳しい経緯は、追い追い書いていきたいと思いますが、今考えるとチッポケな呪いに振り回されて損をしたと思っています。

今では母にサラッと言います。
母「疲れているけどご飯支度しなくちゃ」
私「私も今日は疲れてるから、たまにはコンビニ弁当で良いよ」
母「ずっとコンビニ弁当を食事にするのは悪い事だと思っていた…」
私「なんで?悪いかどうか、自分の家庭なんだから、家族に聞いてみりゃいいじゃん。大体家族は奨励しているのに、誰が悪いって言ったの?」
母「昔から親にそう言われてきたから…いいんだよね?」
私「うん、コンビニ弁当でOK」

私には今、質問できて、納得のいく返答を返してくれるプロの移行支援スタッフがいます。
精神科の医師もいるし、ソーシャルワーカーもいます。
父とはたまにこっそり母の悪口を言います。
だから少し前のように、「昔から親に言われてきたというのは、親の意見であって、お母さんの考えじゃないよね?」と口に出してしまい、母を対等に相手にすることもなくなりました。
いくら私に分かる範囲で一生懸命に関わっても、ブラックホールのように実態がなく、疲弊するだけだと思うからです。
私の姿を見て、母も少しは学んだんだと思います。
戸惑うことはあっても、カッと激昂する事はなくなりました。

母なりの意見を聞ける日が来るかは分かりませんが、
とりあえず、私は今思った事を言えるようになり、そして投薬治療もなくなり、診断名は広汎性発達障害と、今の所、軽い適応障害となりました。
寝たきりから、今はそこまで回復したんだなと確認すると、どれぐらい歩いたかが分かりホッとします。

でも変わらない気持ちはあります。
私は理由がないのに攻撃を受けた理不尽な記憶は確かだと思っています。
私が経験して実感したことは、私にしか語れないからです。
私は一生母を許しはしないと思います。
それが母に振り回されない唯一の方法だと学んだからです。
それが私の現実だと認識しています。

この話は長くなるのでまた掘り下げて続きを書きます。

それでは私でした。